10周年祝賀パンフレット『ガラスの10年』より抜粋〜
 2005年以前に我々の舞台を観ていただいた方なら、前回公演からのメンバー構成を見て疑問を抱いたはずである。一人減っている。まあ、劇団なんてものは一人減ったり二人減ったり、そんなことは日常茶飯事なのかも知れない。しかしながら、我々の場合、その一人減ったのが、「主宰・作・演出」という肩書きの人間であったということが、もしかしたら特異な例だったのかも知れない。会社から敏腕社長が抜けたり、パソコンからOSが抜かれたり、普通に例えるならそんなところだろうか。
 しかしながら、我々にとってはその事によって、「中核を失って機能しなくなる」ことには及ばなかった。いなくなった経営者は既に経営能力を失っており、抜かれたOSはもはやオペレーション機能を有していなかったからである。
 端的に記せば、作家は作っておらず、演出家は演出できずという状況であったわけである。
 具体的には、2003年頃から、劇団内部で「あれ?あいつ自分で本書いてないんじゃない?」疑惑(通称AJHKN疑惑)が囁かれ始め、それ以前に、丁度9.11以降の世界情勢の混乱と時を同じくして、その作風、及び作品そのものに疑問を呈する者もおり、田中のように出演を辞退するものも現れ、またその演出方法においても、「もっとソウルにアクセスしろ」とか「台本を写経しろ」などと、「あれ?あいつ宗教始めちゃった?」疑惑(通称ASH疑惑)が生じ始め、「おもしろ」をやっていたつもりの4人にとって、むしろ舞台裏のこの出来事自体がおもしろいことになってきたわけである。
 この件を「おもしろい」と感じられるようになったのは今になって思えば、ということであり、当時は単に混乱でしかなく、メンバーの4人以外にも、スタッフや関係者各位にも大きな混乱、いや大迷惑であったわけで、劇団内部は戦後のイラク情勢のごとく混迷を極めていた。
 もはやペレストロイカ後のソ連のように崩壊寸前の状態であった2005年末、先述のAJHKN疑惑を決定的なものとしたのが、「赤いふんどし」事件である。
*「赤いふんどし」事件
当時の作・演出家KM氏が送信した「赤いふんどしって、どういう意味?」というメールを、制作スタッフが見てしまった事件。
台本にある「赤いふんどし」というト書きの意味を問うメールをKM氏が送信した相手は、いわゆる「ゴーストライター」である彼の恋人。ちなみに、「ゴーストライター」である恋人は、ラブリーヨーヨーの舞台を(自分が書いた作品にも関わらず)観に来ない。

 その事件を契機に、AJHKN疑惑は「お前、やっぱり自分で本書いてないよね?」疑惑(通称OYJHKN疑惑)と発展し、ようやく事態の重要性を認識した4人は、KM氏を世田谷の中谷邸に呼び出し、事件の真相解明及びKM氏本人の釈明を求めた。2006年2月26日の夜であった。以
降この件は2.26事件と呼ばれる。
 4人による事情聴取に対し、KM氏はゴーストライターである恋人のことを「あいつは俺たちを成功に導いてくれる女神(ミューズ)だ」と称し、「女神(ミューズ)が熱で魘されながら見た夢を、俺が口述筆記して台本が出来上がる」と説明、場は一層の混乱を呈し、解決の糸口など見つかるはずもなかった。
 重苦しい空気が淀む中、それまで一切の発言をしなかった加藤が、おもむろに姿勢を正し一言「じゃ、俺そろそろ終電だから」と発言。
*「じゃ、俺そろそろ終電だから」
メンバーの中で唯一東の方(台東区)に住む加藤が、頻繁に口にする言葉。
世田谷区、中野区に住む他の3人に合わせ、会議等は下北沢や明大前で行うが、加藤の場合、終電を逃すと、高額なタクシー代を払うしか帰宅手段がなくなるため。

 もはやそうするしか事態を収束する術はなかったのである。決して加藤が空気を読めないわけではない。
 加藤の賢明な判断により、終わりの見えない話し合いは「決裂」という結果に終わり、KM氏は俗に言うところの「追放」という処分となった。
 結果として、表向きには「作家が自らの台本を提出していない」ということを理由に、かつてリーダーと呼ばれていた男は追放されたということにはなっているが、もし仮にその「女神(ミューズ)」が書いた台本がとても面白いものであったとすれば、彼らはその台本を上演していたであろうと思われ、「女神(ミューズ)」は真に「女神(ミューズ)」として崇められたであろう。まあ、それはそれで気持ち悪いが。
 詰まる所、4人にとっては彼らが上演したいものは、決して作家性を全面に出した作品ではなく、また何かしらのテーマやメッセージを伝えるための作品でもないのである。単純に「笑い」を起こすことのできる、起承転結があり、「フリ」と「オチ」があり「笑い」が成立する、土台となるべき台本があって、そこにネタを詰め込むことができればいいのである。綿密に構成されたドラ
マチックな展開もカタルシスも不要である。それが笑いに繋がるのであれば話は別であるが。
 2007年3月に行われた4人体制での初めての公演では、「原点回帰」という表現が使われてはいたが、上記のようなラブリーヨーヨーの「手法」のようなものが確認できたのは、2.26事件以降数多く重ねてきた会議の結果であり、4人の理想とする方向性は、10年経ってようやく発見できたわけで、本当に様々な回り道を繰り返し、やっとスタート地点にたどり着いたようなものである。
 結果として、10年間を否定するようなことになってしまってはいるが、この10年間我々がラブリーヨーヨーとして行ってきたことは事実としてあるわけで、その中にも多少なりとも結果を残してきた件はあり、これまでの全てがあってのラブリーヨーヨーなのである。
 我々が客観的に自らの10年を評価することは不可能であるが、今現在において、我々が評価されるべきことは、一つ一つの公演であればよいのである。
注:あまり真剣にとらえると、ドヨーンとするので、「こんなこともあったのね〜」くらいに、笑ってください。但し事実です。